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和書・マンガの評価と感想の記録。

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[本の感想] 科学を語るとはどういうことか ---科学者、哲学者にモノ申す



哲学者の議論を「的外れ」と憤慨する科学者と、
科学者の視野の狭さを精緻に指摘する哲学者による妥協なき徹底対論。
価値観の異なる者同士が科学を捉え、語り合うためには何が必要か。(Amazon)

科学哲学について哲学者と科学者の対談をまとめたのが本書。
結論というか,ほぼ最後まで両者の意見が平行線のまま終わった。
まぁ最後だけは無理やりまとめてたけど,分かり合えないよね。
科学哲学って哲学者の独壇場の世界だし,科学者の扱う領域ではない。
一方的に批判を当てられると科学者も自分の庭で好き勝手言いやがってという気持ちになる。

そもそも近代合理主義以降,主観と客観を分けて
主観を哲学が扱い,客観を科学が扱うようになっていったわけで。
この別れた二つの体系が科学哲学を通して,また1つになった時に争いは起きた。
でもこの科学哲学が扱っている科学って,科学者が扱わない領域なんだよね。

まず研究方法,分かりやすく哲学を文系,科学を理系と分けるが,
文系の研究方法の1つに文献研究というのがある。
これは理系の研究方法ではほとんど聞かない(あるかもしれないが,フィールドワーク系の分野で)。
文学研究の本なんて読んでると一次資料とか二次資料とかいう基準がある。
例えば英文学を日本の訳書で読んだのかとか,原書でよんだのかとかそういうのも問題となる。
理系でそんなことはしない。
基本論文というのは最新の論文しか読まないし,だいたい英語で統一されている。
物理学を学んでいてニュートンのプリンキピアを読む人などそうはいない。
この方法論の違い,科学哲学というのはもちろん文系の研究方法だ。
だから理系から見るといつまでそんな古いことやってるの
新しいことやれよという気持ちになるのは分かる。
科学者は新しいことからさらに新しいことをやってるが,
哲学者はいつも古い資料なんかにさかのぼってばかり。
あと科学哲学のいう科学という意味。
こういうのは科学者の科学では扱わない。
哲学もかつて心理学なんかが派生した歴史があるが,
科学も科学で扱えないようなところあるし,
そういうのはどんどん分離していいんじゃないかと思う。
その1つをたまたま哲学がゲットしたというわけ。
だからこの科学哲学というのは哲学と科学が交わってるように見えて全然交わっていない。
いないのに科学という言葉だけがあるだけに両者ともいざこざが起こるという不運。
個人的な感覚だけど,結局科学哲学っていうけどその分野が進歩していないように見えるのって
もうあらかたやりたいことやりつくしちゃったってのあるんじゃないのかな。
そうなるとさらに研究を細分化していくとかしていかないと,主流も枯れっ枯れっになっちゃうだろうし。

あと一応言っておくと哲学というの思考する学問みたいに思われがちだが,
基本大学なんかの学問機関で扱う哲学というのは文献をもとにした哲学者研究とか哲学史研究の類。
そもそも主観的な思考を扱う,みんなが思ってるような哲学なんて非学問領域に属してるし,
それは大学でやるもんじゃない。
昔の偉人が考えたことを学問的方法によって研究しているのが今の哲学のメインストリーム。

そう言えば仏教にも主流の歴史仏教学でなくて教理学というのがあったなぁ。
あれってどういう方法論で学問的研究を進めていくんだろう。

☆☆☆

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  1. 2013/12/15(日) 05:20:18|
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[本の感想] 金閣寺



一九五〇年七月一日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という
衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み
――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、
ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。
31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。(新潮)

「金閣寺」,言わずと知れた三島由紀夫の代表作だ。
私は今まで読んだことなかったんだけどね。
以前に読んだ同作者の「潮騒」が
特に興味を惹かれなかったんで以降読まなかった。
今回も意見変わらず。
序盤と本筋とは関係なところが面白かったから
まるっきり面白いわけじゃなかったが。

本作は題名の金閣寺があげられてるように,
金閣寺を燃やすという小説だ。
1950年に実際に起きた金閣寺の放火事件を下敷きにして
三島由紀夫が作り出した,彼の代表的小説。
この物語の筋は主人公が金閣寺を燃やす動機と
それに至る心境の移り変わりだろう。

序盤の金閣寺に対する美しさというのは理解できたし良かった。
彼の心象の金閣寺と実物の金閣寺が最初一致せず,
それが滅びというファクターと内包することで一致していく様は。
しかし,物語が進むにつれて女性への美意識と金閣寺の美意識という
比べ用もない美を同じものとして捉える主人公の意識を
理解できないし,まったく共感できなかった。
物に対する美しさと人に対する美しさが
同じというのはどんな感覚なんだろう。
いや,女性の裸婦像や絵画なんかだと
なんとなく分かるんだが建物と人というのは,
でも擬人化というものがあるし・・・。
そして金閣寺の美意識が自ら心を満たしていく中で,
女性からも世間からも見放されていく中で
とうとう金閣寺を放火する決心をつけるのだが,
なぜ決心するかというのがイマイチよく分からない。
金閣寺への放火を決意して死を意識するが,
では何ために金閣寺を放火しようとするのか,
自らが世界を変化させるためでなかったのか。
そもそも世界を変えるといったが,
これは主人公の見てる世界を変える行為だろう,そのために金閣寺を燃やすのだ。
金閣寺の住職を殺すでなく,だからこそそちらを選んだ。
世界を変えるなら,そもそも住職を殺しても意味がないのは
定命であると同時に他人だからだ,己が死ねばいいではないか。
まぁそれをただ狂気と言えば全て片がつくんだが。

良かったのは,女性への隔絶のある描写。
以前読んだ「潮騒」ではよく分からなかったが,
退廃を誘うような女性の描写は素晴らしかった。
特に主人公の女性への影響を多大に与える,
序盤の有為子のエピソードとそのすぐ後の主人公の鬱屈した内心の描写。
女性関係が筋にくるような話を読んだら面白かと思ったので
次読むらなら「仮面の告白」「サド侯爵夫人」あたりにしてみるか。
同じ作者でも合う合わないという作品があるので,
今のところ三島由紀夫の2つは私には合わないかな。

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  1. 2013/11/09(土) 06:50:13|
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[本の感想] 現代アート、超入門!



たとえば一九一七年に発表されたデュシャンの『泉』。
この作品は工業製品である便器がそのままアートとして出品されたものだ。
仲間のアーテストたちにも「はたしてこれはアートか?」と理解されなかった作品が、
なぜ今現代アートを代表する作品といわれるのか?さまざまな作品を俎上に載せながら、
現代アートの「わからない」をごくフツーの人の立ち位置に立ち、
難解な解釈から解き放たれた「よくわかる」現代アートとの付き合い方、
鑑賞法を探り当てる。初心者だけでなく、
アート鑑賞の新たなノウハウにも学びが得られる一冊である。(Amazon)

現代アートの入門というよりも前衛芸術の入門本だ。
これは本書でもいってるが。

そもそも文学やら音楽やら絵画やらの芸術には,
のめり込んで楽しみむにはある程度知識が必要だ。
まぁなくても楽しむことはできるんだが
それだと驚くほど語れる語彙が不足する。
いいよねとか面白いよねとかで終わる。
そこで読書感想文なんかは実体験を踏まえて語るわけだ。
その知識がないと何も語れないのが,
顕著な芸術分野が現代アートだろう。
そういうことで知識を与えるというこの本の趣旨は間違っていない。

内容も,はじめに作品を紹介して
まずみんなが思いつくような印象を提示して
次に主となっている作品の見方を説明して
それについての周辺知識(作品のカテゴライズや作家論,時代背景)
を説明というのが7回分続く。

すごく読みやすい。
ネガティブに答えれば
これは中身が薄いといった方がいいような気も。
ただこういう読みやすい?新書ってどの分野でもどんどん出てるし,結構人気になったりする。
読むのにあまりバックヤードとなる知識がいらないってのも売れる本の条件なのかもしれない。
別にそれはそれでいいんだろう。
案外現代アートが受け入れられる要因も
これまでの美術に必要となる知識を必要としないみたいなところにあるのかも。
まぁもっと饒舌に語りたい人は,この本を足がかりにしてもっと知識を蓄えるようになればいいさ。

ただツッコミを入れたくなるところもあって,
例えば画家・モンドリアンが「コンポジション」シリーズを描くに行き着いた理由が2つあって,
1つが故郷のオランダが水平線と垂直線のような視界世界になっていたというのは
ちょっとトンデモに聞こえるんで,これのソースが気になる。
もう1つが神智学という学問を学んでいて世界に法則をみようとしたという,こっちはまだ理解できる
後ろ側にある参考文献のところをちょっと本文に引用先として付け加えてくれたら,
取っ掛かりのいい現代アートの読書案内にもなるんだろうが。

☆☆☆

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  1. 2013/09/16(月) 10:22:14|
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[本の感想] 開店休業



「正月支度」から「最後の晩餐」まで、吉本隆明、最後の自筆連載、
「dancyu」食エッセイを単行本化。長女・ハルノ宵子、書き下ろし圧巻の追想文、40話を収録。(Amazon)

吉本隆明が亡くなってもう1年以上たつ。
吉本隆明は,「共同幻想論」などで衝撃を与え戦後思想界の巨人と呼ばれた人物だ。
私はそちらより「最後の親鸞」の方が印象深いが,特に影響をうけたわけではない。
本書は吉本が亡くなるおよそ1年前まで書いていた食エッセイである。
彼の長女であるハルノ宵子が,吉本の各エッセイに追想文を書いてあるのが肝だと思う。

私がもっとも優れていると思ったのは,
吉本のエッセイよりもハルノ宵子の最後の追想文「氷の入った水」だ。
吉本が亡くなる3~4ヶ月前に目も耳も朦朧した身となった自身が,
彼女に水が飲みたいといい,そこに老いた父を見るとともに
まるで旅に歩き疲れた僧が一杯の水を所望するような姿を見る。
このエッセイが他のエッセイと毛色が違って見えるため読了が気持よかった。
またこのエッセイの少し前からハルノ宵子自身も言っているが,
吉本のネタが後半辺りからかぶっていたりし始め,食以外のことであったり,
そこらへんの混沌とした状況というのも
ラストの締めくくりをより澄んだカタチに持ってきている。

他のエッセイだが,それも素直だ。
吉本自身がエッセイの中で,料理は味よりも思い出や思い込みがが
味を左右するというスタンスというとっている。
そしてこのエッセイ自身も吉本自身の思い出とともに語られることになる。
食エッセイの基本的なスタイルというよりも,
食べ物の感想自体が本来いいのではないかと私は思っている。
味そのものを単体で評価するというのは,
それほどに難しいのではないかそんな思いがある。
内容も彼の日常にある食の出来事がほとんどで,
彼の父も自身も好きだった三浦屋のレバカツ,
巣鴨地蔵通り商店街の塩大福,
彼の自信あるレシピである,白菜・人参や豚をミルフィーユ状にしく豚ロース鍋,
塩せんべいという名の塩せんべい,
ごはんのおかずとして三本の指に入る焼きレンコン。

それと猫好きの彼らしく猫の缶詰の話もある。
(この本と同じ時期に愛猫に関するエッセイ「フランシス子へ 」を出した。)
あとハルノ宵子の追想文「命の粉」で吉本は味の素が大好きでなんにでもかけたと書いてある。
この味の素を作った人物と吉本は知り合いらしく信用していたという話だ。
そこらへんのグルメライターなんかはにとうてい書けないだろう話だが,
そもそも今でもそこらへんの年季のはいった食堂や居酒屋なんかには味の素が置いてあるもんだ。
私のまわりにも使っている人がいるし,ここらへんも自分に素直だなと思う。
某グルメマンガによって,うま味調味料自体が食に関してマイナスな印象がついているし
グルメ本・グルメブログなんかでうま味調味料の肯定を聞いたことはほぼないが,
世間一般では結構使われているし,好きな人達というのはいてもいいと思っている。
食に一辺倒な思想のようなものが見えてしまうというのはなんだ,考えてみると怖い話だ。

このエッセイを読むとただのおじいさんという感じだなぁ。

☆☆☆

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  1. 2013/09/10(火) 05:27:17|
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[本の感想] 人類哲学序説



日本には「草木国土悉皆成仏」という偉大な思想がある――。
原発事故という文明災を経て、私たちは何を自省すべきか。
デカルト、カント、ニーチェらを俎上に近代合理主義が見落としてきたもの、
人間中心主義が忘れてきたものを検証し、持続可能な未来への新たな可能性を日本の歴史のなかに見出す。
ここに、新たな「人類哲学」が誕生する。(Amazon)

人類哲学なんて言わず,もう仏教でいいじゃん。

これ読んだんだが,ちょっと風呂敷を広げすぎてないか。
2~4章の西洋哲学の批判というのは,まぁいいだろう。
西洋哲学を批判し,最終章の5章目の森の思想というのにつなげるのが
梅原猛の人類哲学ということでいいんだろう。
確かに西洋哲学(というかデカルトから始まる近代哲学か)は
色んな壁にぶち当たっている。
まぁ19世紀のニーチェが言ったことは一理あったわけだ。
その答えとして,自分の立ち位置である仏教を含む
日本思想に回帰するのだと。
日本の著名な哲学者が通る道ではある。
西洋哲学に代わる可能性として,
天台宗の本覚思想や浄土真宗の阿弥陀思想,
ひいては古来よりの日本の自然観とでもいうもので
可能性を切り開くのが梅原哲学である人類哲学なんだろう。
利他は大乗仏教の本懐なんだろうし。
まぁ浄土思想には利他がないと宮沢賢治は法華宗を信じたわけだが。

彼の人類哲学を支えるのが仏教と日本の自然観であると。
けど今の仏教に宗教的救済というのを
託せることなどできるのだろうかと思う。
葬式のための職業になった仏教で何をどうすればいいのだろうか。
思想を実践できる場のないままの思想というのは,
一体何処に帰着を果たせばいいのだろうか。
失望だ失望しかない。
それともただ日々孤独に念仏を唱えれば救われるような
そんな考えを持ち合わせているのだろうか。
その考えだと別に寺なんかなくてもいい。
確かに親鸞は,念仏とは修行でないと言った。
ただ唱えるだけ。
それなら念仏だけ知っていれば,場がなくても事足りる。
そもそも阿弥陀思想というのは単純明快,
ただ念仏を唱えればいい,これで仏になれますよという
単純明快な思想であったからこそ民に浸透したという歴史がある。
言ってみればそれだけでいい,他に何も要らない,哲学など要らぬのだ。
それが大多数だろう,まぁ浄土真宗の親鸞には一部の者達に
絶大なカリスマ持ち合わせていているのも事実ではあるが。
日本古来の自然観や宗派仏教の統合など可能なのか。
本書は序説ということで本説の方もそこのところが気になる。
(9月に本説の方は出る予定らしい。)

ただ本書を読む限り,人類哲学は梅原猛が哲学体系を組み立てるのでなく,
結局は日本の仏教思想や自然観のいいとこ取りという印象。
これを哲学と言っていいんだろうか,もう仏教でいいじゃんないのか。
なんというか,どこぞのワンマン社長が言う経営哲学なんかの
哲学という意味合いと同じに聞こえる。
まぁ仏教という宗教全開だと心理的シャッターを下ろす人たくさんだし。
日本人ややこしい。

☆☆☆

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  1. 2013/07/20(土) 07:12:44|
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